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スリランカ

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 スリランカの伝説
 ヴァンガという国に一人の女王が居ました。彼女は成長し美しい乙女になりましたが、王宮を出て商人たちと旅をしている途中で一匹の獅子に襲われました。獅子と暮らすことになった女王は獅子との間に双子の王子と王女をもうけました。

王子はシンハバーフと名付けられ人間の姿をしていました、成長するに従って父の獅子を嫌い、母と妹を連れて母の故郷ヴァンガ国に行きました。ヴァンガでシンハバーフは愛する妻と子供を慕ってきた自分の父である獅子を殺すことになります。彼はその後供の者を連れてヴァンガ国を去り、シンハブラという町を作って、妹を王妃として32人の子供をもうけたといいます。
1番目の子供はウィジャヤと名付けられました。ヴィジャヤは乱暴になり人々に災をもたらすようになったので、シンハバーフ王は彼を700人の供の者と一緒に船に乗せて追放しました。
船は幾つかの地を経由してスリランカに辿り着きました、上陸して大地に触れた彼らの手は赤道色に変わりました、そのことから赤道色を意味するタンパパンニという名がこの島に付けられました。

彼らの到着した日は仏陀の涅槃の日に当たっていたと言われています。
ヴィジャヤがこの島に仏法をもたらすことを知っていた仏陀は、この島に住み付いていたヤクシャ、ヤクシニーから彼らを守りました。
 
ヴィジャヤの1番目の妃は服従した夜叉族の女王クウェーニを娶り子を授かりました、これがヴェッダ族の系譜となりました。
島を治めたヴィジャヤは王になるためにクシャトリヤから妻を娶ろうと、マドライのパーンテイヤ王に使いを出したところ、王は娘を寄越しました。
 
ヴィジヤヤは正式に即位しタンパパンニを首都に38年間統治しました。
バーンディヤ王の娘との間に子供をもうけることが無かった彼は、シンハプラに残してきた弟を呼び寄せようとしましたが、弟は自分の末の子供バンドゥヴァースデーヴァを代わりによこしました。
彼は32人の供と一緒に島の東北部に上陸し、そこを都にして島を治めました。
バンドゥヴァースデーヴァには10人の男の子と、1人の女の子が居ましたが、その女の子の息子がアヌラーダプラ王国を建設したとされています。

スリランカの歴史は、ヴィジャヤの来島から始まるのですが、何所から来たのかはっきりしていません、たぶん北部インドであろうと推測されているのは、スリランカ国民の多くが話すシンハラ語が北インドに広くみられるインドアーリャ系の言葉に似ているからでしょう。
獅子の国と呼ばれるスリランカが、伝説どうりとは思えませんが神秘的な国には違いないようです。


 


歴史

紀元前5世紀 シンハラ人の先祖にあたる人々が北インドから移住して王国をつくったとされる。
紀元前3世紀  アショーカ王の王子マヒンダが仏教を伝え、上座部仏教をシンハラ人の多くは現在まで信仰を守ってきた。
紀元前2世紀以来   南インドからタミル人を主体とする断続的な移住者があり、現在のスリランカ・タミル人の原型を形成したと考えられる。
5世紀   アヌラーダプラで父を殺した王子はシーギリアロックの岩山の頂に宮殿を築いて遷都してカッサパ1世となった。。 
13世紀 マルコ・ポーロが来島し、『東方見聞録』に記録を残す。
15世紀 中央部にキャンディ王国(1469-1815)が成立し、キャンディを王都とした。
低地にはコーッテ王国(1371-1597)、北部にはジャフナ王国(14世紀-1620)があった。
 16世紀  ポルトガル人がコロンボに商館を建設し植民地化(1505-1658)。
植民地都市ゴールが建設される。
 17世紀 ポルトガルに代わりオランダが植民地化(16581796)。 
 18世紀 イギリスの東インド会社がコロンボを占拠し植民地化を始める(17961948 
 1815 イギリス軍はキャンディに入り、王権は消滅した。 
 1891 ダルマパーラが大菩提協会 (Maha Bodhi Society) を創立した。 

1948年  2月4日にイギリス連邦内の自治領(英連邦王国)セイロンとして独立した。 
1951年  サンフランシスコ講和会議において、セイロン代表として出席していたジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ蔵相(後、スリランカ第2代大統領)は「日本の掲げた理想に独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい。憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」という仏陀の言葉を引用して、対日賠償請求を放棄する演説を行った。 
1956年  総選挙でS.W.R.D.バンダラナイケが首相に就任し、シンハラ語公用語法案を制定した。タミル人は公務員から排除された。このシンハラ・オンリーの政策によってタミル人との対立が高まり、後の大規模な民族対立の原因となる。 
1959年  S.W.R.D.バンダラナイケが仏教僧によって暗殺される。 
 1972年 S.バンダラナイケが首相に就任し、仏教を準国教扱いにする新憲法を発布した。国名をスリランカ共和国に改称。「タミルの新しい虎」(LTTEの前身)が成立し、「タミルの国」、イーラム (Eelam) 樹立の要求を掲げて、分離独立運動を開始した。 
1978年  議院内閣制から大統領が執行権を行使する大統領制に移行し、現国名に改称。 
1983年  シンハラ人とタミル人との大規模な民族対立が起こり全土にわたって暴動が繰り返され、2009年にまで内戦状態が継続した。 
1984年   首都をコロンボからスリジャヤワルダナプラコッテへ遷都。 
1987年  反政府組織LTTE(タミル・イーラム解放のトラ)が独立を宣言し内戦が続いた。 
 2004年12月 スマトラ島沖地震の津波により沿岸部に死者3万人以上という大きな被害を受ける。 
2005年11月  マヒンダ・ラジャパクサが大統領に就任。 
2009年5月18日  LTTEの最高指導者ヴェルピライ・プラブハカラン議長の遺体が発見され、政府はLTTEの完全制圧と内戦終結を宣言。 


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